楽譜の成り立ち
2024/10/07
笑顔があふれる生徒さんが通う
富士市の人気ピアノ教室
フェリーチェおさだ音楽教室の長田です。
音楽の拡大と切っても切れないのが楽譜です。
紙はすでに2世紀の中国で発明されていました。
9世紀頃グレゴリオ聖歌を歌う修道士たちが
「ネウマ譜」を遺してくれているおかげで
現代でも中世の音楽を聴くことができます。
ネウマ譜の登場から長らく楽譜は手書きで彩色され
美しい美術工芸品でもありました。
その所有者は王と貴族、そして教会や修道院です。
楽譜のコレクションは富の象徴でもあったのです。
少し時代が飛びますが
楽譜を印刷して出版する、という新ビジネスを
イタリアのオッタヴィアーノ・ペトルッチ
(1466~1539年)が始めました。
しかし最大150部の印刷が限界だったため
手書き美術本と同程度に高価でした。
コストダウンと技術革新が続き次々と楽譜出版社が誕生しました。
そしてこのルネサンス期に
日本人が初めて西洋音楽に出合うことになります。
フランシスコ・ザビエルが1549年に九州へ到着し
ここで修道士が歌ったグレゴリオ聖歌こそ
日本人と西洋音楽との初めての出合いです。
数年後に日本人信者によるラテン語の合唱も行われ
1581年には織田信長が
キリスト教の学校で学ぶ少年たちの
声楽と器楽演奏を聴いたといいます。
楽譜は高価な美術品だったと知ってびっくりです。
しかも現代の教会でネウマ譜が使われているそうで
二度びっくり!
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