フェリーチェおさだ音楽教室

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インフルエンサー的作曲家

インフルエンサー的作曲家

2025/01/06

こどもから大人まで

笑顔あふれる生徒さんが通う、富士市の人気ピアノ教室

フェリーチェおさだ音楽教室の長田です。

 

新年のコンサートといえば

シュトラウスのワルツですね。

 

生誕200年を迎えるJ.シュトラウスⅡ世は

大衆音楽を芸術に高めた作曲家です。

 

「ワルツ王」ヨハン・シュトラウスII世は1825年、

オーストリアのウィーンに生まれました。

 

まだぎりぎりベートーヴェンやシューベルトが活躍していた時代に

彼らと入れ替わるように生まれてきたシュトラウス。

 

作曲家としてもベートーヴェンらとは少し違っていました。

 

シュトラウスのほぼすべての作品はワルツやポルカなどの舞踏音楽です。

 

彼は自らの楽団を率いて実際に舞踏会の会場へ出向き、演奏したのです。

 

自分のバンドで自分のオリジナル曲を各地で公演する

現代のミュージシャンのイメージに近いかもしれません。

 

大衆のための音楽を

大作曲家たちのシリアスな作品に負けない芸術音楽として

認めさせたのがヨハン・シュトラウスです。

 

彼の音楽の素晴らしさゆえであるのはまちがいありませんが

人々の熱狂的な支持を集めた

卓越した彼のセンスには驚かされます。

 

まずは多民族都市ウィーンらしい視点。

当時のウィーンに人口の20%を占めるボヘミア人・モラヴィア人(チェコ)を始め

ハンガリー人やスロヴァキア人など

多くの民族が暮らしていました。

 

とくに活動初期に「チェコ・ポルカ」(1845)

「セルビア ・カドリーユ」(1846)「ペスト・チャルダーシュ」(1846)「スラヴ・ポプリ」(1847)のように

ウィーンに住む周辺の諸民族を

新たな聴衆として取り込む作品をつぎつぎに発表しています。

 

いわばインバウンド需要を見込んだ取り組みです。

そもそもダンス自体、ポルカはチェコ、マズルカはポーランド、チャールダーシュはハンガリーから入ってきたものです。

 

もうひとつ「時事ネタ」ともいうべき作品の数々です。

 

ウィーンで皇帝の暗殺未遂事件があれば

「皇帝フランツ・ヨーゼフ救命祝賀行進曲」(1853)を書き

 

都市改造でその壁を解体することになれば

「城壁徹去ポルカ」(1862)を発表。

 

工業技術が著しく発達していた時代を背景に

蒸気機関車の加速を模した「加速度ワルツ」(1860)

鉄道の発展も手伝って普及してゆく電信をテーマにした「電報ワルツ」(1867)など

 

社会の流行をいちはやく取り入れた作品は

まるで彼の生きた時代を映すようです。

 

きっと現代のSNSインフルエンサー的な感覚、芸能界の感覚を持っていた才人なのでしょう。

 

その姿勢に多くの人たちが共感し

彼はカリスマ的スター作曲家になっていったのです。

ただ者じゃありませんよね!

 

 

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