ベートーヴェンとモーツァルトとの出会い
2025/01/23
笑顔あふれる生徒さんが通う、富士市の人気ピアノ教室
フェリーチェおさだ音楽教室です。
「人間ベートーヴェン」の第2回目です。
彼は難聴で舞台を失敗して以降
再びピアノを舞台で弾くことは叶いませんでした。
しかし現在ピアノがここまで重要な楽器となったのは
彼がピアノの魅力を
最大限引き出す作品を数多く書いたからであり
それが出来たのは
紛れもなく彼自身が当時のトップピアニストだったから
なのです。
ベートーヴェンの一番最初の先生は
テノール歌手のお父さんヨハン・ファン・ベートーヴェン
(1740~1792ドイツ)でした。
しかし親子関係と師弟関係の両立は難しく
1782年(12歳)よりボンの宮廷オルガニスト、
クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに作曲と
オルガンとピアノを習い始めました。
ネーフェはライプツィヒ大学で法学を修めたのですが
ライプツィヒはまさにあのJ.S.バッハが長年教会の音楽監督を
務めていたところで、
息子のC.P.E.バッハも同じく名を馳せていました。
ネーフェはおのずとバッハからの影響を受け
J.S.バッハの平均律や
息子C.P.E.バッハの「正しいクラヴィーア奏法」
の大切さを見出し、
ベートーヴェンにそれらを徹底的に教えました。
ネーフェの教えをしっかりと受けたベートーヴェンは
1787年(17歳)留学を夢見ます。
習いたい先生は
ウィーンに住むヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
(1756~1791オーストリア)。
ベートーヴェンはモーツァルトに弟子入りを直談判するべく
一人でウィーンへ向かいます。
行動も全て一人だったため旅の記録はほぼ残されていませんが
ベートーヴェンはモーツァルト家の扉を叩き
モーツァルトに演奏を聴いてもらったようです。
しかしモーツァルトから弟子入りに関する詳しい話はなく
落胆してボンに戻ります。
そうこうしているうちになんとモーツァルトは35歳という
若さで4年後の1791年に亡くなってしまいました。
というわけでピアノの普及はこの頃なんです。
モーツァルトの幼少期はチェンバロで
ウィーンに住んでからピアノになりました。
次回に続きます。
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